桑島さんのコラム、三度目の入選を果たしました

(某A新聞社のサイトにある「USAまずいもの大全」に掲載されたものです。シアトルのシーフードと聞けば「うまいもの」と連想してしまうのですが…)

バターとソースの地獄 シーフード

 ヨットが停泊し、カモメの声が聞こえる。さわやかな海風になびく金髪。窓から眺める景色は最高のレストラン。アメリカで食べるシーフード――サーモン(鮭)、ツナ(マグロ)、コッド(たら)、ソワードフィッシュ(メカジキ)

 メニューを眺めると、香草風味バター焼き、レモン添えニンニク風味焼き、フレッシュトマトソースバジル添えなど、思わず舌なめずりしそうなラインアップ。このメニューを眺めるときが至福のとき。嫌でもグーッと鳴るお腹と共に期待は高まってくる。

 ウェイターが、手では持てないほどのアツアツの皿にのせて、出来たてのシーフードをうやうやしく運んでくる。冷めるのを防ぐためにかぶせたアルミ製のカバーを取ると、ほわーと立ち上るおいしそうな湯気。

 「さあー、食うぞ」。むしゃっと一口。何かが違う。なんだ?? 隣の人からお裾分けで一切れもらい一口! これも違う。なんだ、なんだ。これはなんだ?

 わかった! 魚の味がしないのである。サーモンもコッドもみーんな焼きすぎで、ぱさぱさ。焼くときに入れすぎたバターの味しかしないのである。

 または脂ぎったタルタルソースかクリームソースの味だけが、まるで満員電車の少しだけ空いたシートの隙間にお尻を突っ込んでくるオバタリアンのように、私の鋭敏(?)な舌に押し寄せる。

 か細く奥ゆかしい魚さんの繊細な味は、遥か彼方にぶっ飛んでしまったのだ。何回もいろいろな種類のシーフードを頼むのだが、いつもバターかソースの味しかしないのである。

 甲殻類に至っては最悪。カニもロブスターも、地獄のエンマ様もここまでひどい仕打ちはしまいと言うほど煮えたぎる大釜でぐらぐらと煮込まれる。我々が食べるときにはふくよかだったカニさんもロブスターさんも、通販のサウナ用スーツを2日ほど着たままだったのではないかと思うほど、すっかり干からびてしまい、スリムな体に変身している。そのスリムな身をアメリカ人は溶かしバターにどっぷりと浸して食べるのである。

 カラマリ(イカのフライ)もあげすぎて、衣は相撲取りがビキニを着たように申し訳程度に張り付いているだけで、中のイカはもう輪ゴム状態。シーフードフェタチーニは、ゆですぎたフェタチーニとシーフードがだぶだぶにあふれ返りそうなクリームソースの中でウォーターポロをしていて混戦中。

 日本料理のように塩焼き、照り焼き、粕つけ、西京味噌つけなどと魚の種類に合わせて魚本来の味を生かすなんて繊細な考えはこれっぽっちもないのである。それにアメリカ人がよく食べる魚といえば、サメ、ナマズ、ザリガニetc。「なんでわざわざ」とつい言いたくなってしまう。鯵や鯖、オコゼにサンマ、もっともっとおいしい魚がいくらでもあるのに、よりによって・・・。

 ちょっと待って! 逆にアメリカ人の立場から考えてみたら「えーっ、なまこを食う!?」「えーっ、あなごも、うにも?」「ふぐ? 毒があるんじゃ? おこぜ??」「人間の食うもんじゃない。なんでよりにもよって」。確かにうなずけるところはある。くそー、立場が悪い。えーい、それがどうした(開き直り)、アメリカ人がなんと言おうとも、うまいものはうまい。

 恐怖心にも負けずにナマコやウニに食らいついた日本人の先人に敬意を表し、今日もハマチのかまの塩焼きの小骨に付いた身を一切れでも残すまいと、我が家の猫が物欲しげにジーと見つめる視線も気にせずに、シーシーとしゃぶり続けるのだった。
匿名希望/ワシント