5歳: 母親の情操教育志向のためヴァイオリン教室へ。母方は長野県は松本市出身で鈴木メソッドのヴァイオリン教室が盛んとか・・・。どーもそのせいらしい。1/8だかのちっちゃいヴァイオリンで習う事6ヶ月(棚野さんとはちょと違う)きらきら星(TTLでないの!)&荒城の月を習ってたと思う。原因不明の高熱を発し、ヴァイオリンを止める。実は先生がすんごくおっかなくて止めたくてしょうがなかった。
6歳; ヤマハ音楽教室でオルガンを習う。(・・・ってまた棚野さんと一緒)2年間続け先生はスジが良いと見たのかピアノ教室へ進むよう薦める。でも実は他の子は幼稚園年少組(5歳)から始めてるわけだから6歳で始めた私とは違うの当たり前。先生も親もそこんとこ分かってないようでした。無論、才能があるとも思ってなかったのでピアノ教室はお断りしました。
ここまで書いてびっくり。スタートはなぜか棚野さんと同じ。
奇遇なのか、もしかしたら日本人の20-30%はヴァイオリン挫折&オルガン転向組だったりして・・・。
この後、私の音楽史は特に記するものがありません。小学校の頃は電蓄(分かんない人はお父さんに聞いて)でソノシートかけてたくらいです。宇宙少年ソランとか森永の歌はここらで聞いてたと想います。岸さん!
中学に入った頃、オヤジがマイホームを持ったこともあって、我が家にステレオセットがやってきました。ここで転機が・・・。
それまで特に日本の音楽を聞いてもなんとも想ってなかったのですが(岸さんごめんなさい)、FMやらで洋楽を聞くことができるようになり、頭をガツンと殴られたようなショックを受けました。
最初に殴ってくれたのは映画音楽の巨匠達。その頃はバート・バカラック(「雨に濡れても」等々)とかフランシス・レイ(「白い恋人達」等々とか・・・。洋楽のLPを買いあさり出したのもこのころです。
その次に私の頭を殴ってくれたのがブラジル音楽の巨匠達。最初はセルジオ・メンデスがガツンと、そしてアントニオ・カルロス・ジョビンが、バーデン・パウエルが・・・、ガツン、ガツン、ガツン。
この頃は誰でもそうだったと想うけど、ギターも買って弾けるようになろうと努力したこともありました。でも今思えばムチャなんですが、ギター買ったばかりの中学生がバーデン・パウエル目指したら挫折する方が自然でした。ってなわけでギターは埃をふいてやるために置いてあるだけのシロモノになってしまいました。
それから暫くは音楽は聞くだけのモノでした。
合唱なんて考えも及ばず。クラブ活動もアメフトやってました。ポジションはいろいろやらせてもらいましたが最も多かったのが「怪我人」(怪我してプレイできないのでサイドラインで見学する人達)でした。
アメフトの1年先輩の下宿で聞かせてもらったレコードが久々に(第3段ですか?)ガツンとやってくれました。リー・リトナーというギタリストのLPでした。その後、途中中断も一時期ありましたが、音楽聞くうえではずっとこの人のおっかけ状態でした。この人ロス出身の人で、ハリウッドのギターセンターが彼の音楽史の始まりのようでした。もちろん既に行ってみました。感動!
そんなこんなで、音楽は聞くだけのものでしたがロスへ転勤になってからがまた転機。オヤジのいとこがロスで牧師さんをしており、その人(アルファ・タカギといいます)から、今は引っ越したけどトーレンスにゆかりの教会があるから、いつかたずねて見なさいと薦められておりました。
忙しさにかまけて赴任から2年近く伺う機会が無かったのですが2004年のクリスマスにようやく重い腰をあげて伺ったのがフェイス教会でした。その日に宮川牧師に初めてお目にかかり、更に紹介されたのが嶺井さんでした。
その時にも嶺井さんに合唱やらない?と声かけて頂いて、教会?合唱?ゴスペル?まるで綾戸チエ(今日本で人気のジャズボーカリストです)と同じパターンじゃないか!と思い、これは参加するしかない・・・、と決断は早かったのですが、また仕事が忙しくなり練習に来るようになるまでには更に半年かかりました(別に綾戸チエと曲想が違うのが不満とかそんなんではありませんから。念のため)。
・・・ってなところで7月以降のベースパート高木の音楽史につながります。