2005年の新春に顧みる(土田さん)

「過去を慈しみ、現在を憂い、未来に希望を抱く」という言葉は、レーガン元大統領の一般教書に出てくる名演説の一つである。この思考は正月や誕生日、入学、卒業、結婚などの人生の節目で誰しもが抱く感慨であろう。新春のこの折に振り返って見れば、私の旧年は喜怒哀楽を織り成し、いささか変化に満ちた年であった。

娘と一緒に、東京―福岡―酒田―信越―京都―東京と駆け巡った日本縦断温泉旅行で大いに英気を養って米国に戻った。と思ったら間もない2月に、会社では長年勤続社員の退職の対応に忙殺されることになった。これに追い討ちを掛けるように同じ月に、ここ暫くご無沙汰していた町田に住む叔父の他界通知があった。予期していた時が来たか。叔父にはお世話になった。突然の通知に天命を拝する気持ちを抱きながら、翌日機上の人となった。ギリギリで葬儀に駆け付けて棺に合掌して無沙汰の非礼を謝り、冥福を祈った。 葬儀で遺骨を抱きかかえる重責を果たして遺族から感謝の言葉を受けて帰米した。会社ではこの後の4月になって、ようやく欠員であったポジションに新入社員を採用した。

それから間もなく、以前から準備していた米国市民権取得を申請し、その面接試験には難なくパスした。しかし、どこの国でもある役人仕事の怠慢のために、宣誓式への参加通知がなかなか届かない。再三の催促の結果、私よりも先に申請していた妻の場合よりも倍の時間を費やして、やっと通知書を入手した。8月、LAコンベンションセンターで3500名の参加者による合同宣誓式に出席した。それまで10年近く保持してきたグリーンカードはその時に返却を求められた。苦労して取得したものであるだけに寂しい思いが胸中を走った。でもその後にレターサイズの写真付きの立派な帰化証明書を受理し、ようやく実感が湧いてきた。宣誓式では圧倒的にメキシコ人の数が多かったが、それでも老若男女いろいろな国の言葉が聞こえてくる。日本人らしい姿もチラホラ見えたし、若者の数も多い。LA地区の一部を対象にした宣誓式でこの大勢の人数である。しかもこの大規模な宣誓式が毎月行われている。もの凄い移民の受け入れ数である。この国の力の源泉を垣間見る思いである。この後、娘も米国に帰化した。

宣誓式を終え、一息ついて安堵していた同じ8月、今度は7人兄弟姉妹の2歳年上で山形の酒田に住む兄の突然の他界連絡が弟からあった。享年62歳、兄弟同士の人生の順番を狂わせる無念さが込み上げる。「なんでや」と、亡くなった兄に問う言葉さえでてくる。またしても全ての日程を変更して、それまで未申請であった米国のパスポートを超特急で手配して飛行機に飛び乗り、どうにか葬儀に臨むことができた。子供の頃は喧嘩相手であったが、それがかえって親密となった兄が突然去った。嗚咽の献杯を行い、心の整理をする間もなく、とんぼ返りで妻と一緒に帰米した。

そんな中でも、あさひ学園理事長やJBA役員等の地域貢献活動も重責のために多忙であった。苦にはならないけれども、この数年は実質的な休日を取った記憶がない。でもこの状況はイカン! 本末転倒にならぬようにと、ボランテア活動を一歩引き下がって対応する準備を始めた。 本業へより多く傾注するためである。ゴルフも公的に必要な場合以外は遠慮した。したがってスコアもあまり良くない。これが癪に障る。

会社では業績回復のための準備を始めた。9月には東京から社員赴任も受け入れを決めた。これ以上皆さんに迷惑を掛けると身の破滅に連なると生活の身を律した。このような変動は、天から授かったものであると理解した。幸いに体力と気力に異常はない。ナンタッテお酒も美味しく飲めるし、合唱も感動しながら歌っている。人の心にも感動している。「人生は重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。いそぐべからず。及ばざるは過ぎたるよりまされり」。今は東照公の遺訓に従うのが最善と理解した。

過日のことはこれで終わりにしよう。これからやるべきことは、現在を憂うることではない。今できることを一生懸命に実行することだ。肩の力を抜いて、自然体の心境で実行することだ。そうすれば、明日に希望を持つことができる。自分に希望をもつことができる。仕事、ボランテア、歌、酒、そしてゴルフも、希望と遊びの心の中で続けるのだ。「一期一会」という茶道の教えある一度しかない人生を大切にしようという気持ちは、渡米後このかた変わることなく持ち続けている。それも、仕事中心の生活の中で。

それにしても、自分がこの国に帰化することになるとは、我ながらビックリするコトでもある。昨年、娘と一緒に訪ねたあの美しい京都の清水寺の舞台から飛び降りているではないか。美しい日本の心で育った私が、そのように美くしいとはとても思えないアメリカ人になったのである。排他主義で勘定高く、徹底した利己主義で、将来のビジネスに興味を持たず、明日の満足よりも、今日の喜びを大切にし、考えるよりもおしゃべりが先行するアメリカの人々。とても世界の良心などと自負できるものではない。レーガン元大統領の冒頭の言葉が空しく思える程に、相手の言うことを聴いていないのがアメリカ人である。コミュニケーションの方法は私が知っているかぎりでは、説得力ばかりが旺盛で世界で最悪である。

それでも、この南カリフォルニアは温暖な地中海性気候で、とても凌ぎ易い。ありがたいことに日本食や日本の情報に不足を感じない。それに日本文化を理解し、日本語を大切にする日系人が大勢住んでいる。この先輩諸氏、日系人の血の滲む努力のお陰で、多くの日本人が大きな問題を抱えずにこの地で生活できている。これからは自分達が次世代にこれを渡していく責務がある。異文化の架け橋に大切な任務である。

またこの国では、憲法で守られている「生きること、自由、幸福の追求」この三つ基本的人権への対応は、社会制度としても確立している安心感がある。これは自分にとって譲ってはいけない大切な権利であると思っている。側からみれば「随分とアメリカかぶれしているなあ!」と、映るであろう。「他人のことは何も考えていないんじゃないの!」と、糾弾されるかもしれない。しかし、ここは逆である。他人のことを思うからこそ、この三つの権利は守らなければならないと考えているのである。でも、アメリカの民主主義を中近東地域でも達成しよう、などと言うような愚かな政策や発想を私は支持しない。けれども、これを米国内で達成しようとするならば、理解できるし賛成できる。メイフラーワー号の歴史が見えるからである。          

2005年、米国生活16年目の新春を祝す。土田三郎